【番外編 toBerlin2】ベルリンにて

 ヘロー、ではなくTag。schönもよく使いますね。ドイツ人、なんでもかんでもショーンって言うけど意味は不明です。でもほとんど英語で喋っちゃいますね、よくない傾向ですが、ここドイツなんで。

 現在ベルリンの壁の前のホテル23時くらいでやらせてもらってます。月曜日は寝ただけなのでベルリン2日目の夜ですかね。美術館行ったりソーセージを食べたりしました(うまい)。

 旅の感じと、考えたことと、その他なんかを書こうとしています。長くなりそう。

 

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 まず、旅の感じですが、今回、以前の旅行の時よりも自分が大人になっているように感じます、良くも悪くも。鏡見てもやべぇって思います。良い点としてはいろいろ慣れてます。カジュアルにお酒とか注文できます。悪い点は純粋に喜びとか悔しみとか減ってるような、疲れも重めです。海外旅行に慣れたというのもあるんでしょう。上海・ロンドン・ロス・ベルリンで四カ国目ですものね。どこにでもいける感じとともに、どこにもいけない感も強まってくるというちょうど狭間のところですね。

 

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 ああそうだ、思い出した書きたかったこと。ここから書きたかったことまで、やっぱり少し長くなりますが順を追っていきたいと思います。

 

 今日はベルリン大聖堂の前で本読んだり割とぼーっとしてたのですね。春の日差しで気候も良く、なんとなく良い匂いもして良い感じでした。その時考えたことですね。

 ぼーっとしてたときに、別にこれ代々木公園でも良いんじゃないか、と思いつつも、でもダメなような気もするし、じゃあ今家にいるとしたときの気持ちを想像すると来てよかったなぁとは思ってまして、とはいえ結構行き当たりばったり来てるな、この旅行だけでなく。と思いました。はい。続きます。

 ぼーっとしてるといろいろ多分ストレスが減っている状態だからこそ思い出すことができる、これまでの人生の良いこと・悪いこととかが結構あり、サッカーってすごい、とか、親の借金どうすんだ?とか、犬が死んだーとか、春でいい天気なのにデートできそうな女の子がいない、とかまあ最後のはどうでもいいですけど、それ以外は割とヘビーな気持ちになったりしました。そういうヘビーなことを思い出してると、もう少し考えて生きれば?という自分を貶したい感じと、いや結構頑張っとるよ、と自分を褒めてやりたい感じの二つの矛盾した気持ちになるわけです。そして癖になってしまってる思考の流れみたいのを客観的に整理してみたわけです。

 こういう感じの行き当たりばったりな旅行に行くためにまず何をしているかと考えると、まず「ベルリンて良さそうだなぁ〜」という自分をどうにかこうにか作り、それが固まって来たら一旦切り離して隣の庭に一旦ぶち込んで、現実的な処理をする自分を頭にセットします。必要なことのリストをメモして上から順に潰していきます。そして飛行機が離陸したところで「だなぁ〜」という自分を元の位置に戻すと、「げー、なんでこんなことしてるんだっけ???」という状態になってベルリンにつきます。

 で、こういうことをずーーーーっと繰り返して来ているような気がしたんですね。旅行に限らず、受験だの就職だのほぼ全てのちょっと頑張らないといけないことに対してこういうことしてるんですね。頭を別にして、リストにして処理。大体終わったところで目の焦点を戻す。という一連の流れが癖です。というかそれ以外のやり方を知らない。もう少し他の人の気持ちとかも考えて行動すべき、とか、いやでも誰にでもできることではない、いいね、とか思いますよね?伝わってます??伝わってないでしょうね、大丈夫です🙆‍♀️耐えましょう。

 

このコツはNHKの教育番組から学んだんです。確か。大体10m先までがんばろーを繰り返してると1kmのマラソンもいつの間にか終わってる、というストーリーの謎ドラマがあったんです。

 この考え方は結構有用で、でも有用すぎて薬中みたいに手段と目的が一緒になってしまうのです。10m先のこと考えて、辛くて一旦5m先のこと考えて、、ってやっているうちにゴールどこやねん、て言う。

 手法が洗練されてきてて、「良さそうだなぁ」という自分は完全にホワイトアウトしてるわけです。大体は9mすぎるあたりで次の10mが見えてくるんです。効率的ではあるんですよね、「だなぁ」がいるといろいろ考えちゃうし、ぶれるので手戻りとか多いけど、一旦のゴールをおりゃと決めてしまえば最速の道順も作れるわけです。

 で、実は「だなぁ」って言うのが隣の庭にすらないのに、一旦のゴールを作って作業をこなすということに慣れてしまったんですね。「だなぁ」っていうのをやらないといけない初のタイミングは高校受験のときなんでしょうけど、その時でさえ、説明が楽だ、という基準で選んでたわけですね。まあ確かにちょっと頑張らないとできないようなことを達成できてはいたので、よかったことも多かったんですけど、ここ最近は次の10mもなかなか見えなくなってきたので、そろそろ「だなぁ」じゃなくて「でしょ、間違いなし!」というのが必要な気もするんですね。

 そういう大人が本当に嫌いだったんです。自分が信じてるものが全て、みたいな。何も柔軟性のない感じ、質問してることじゃないこと答えてくる感じ、大人だけじゃなくて高校くらいからそういうやついましたけど。なんで生きてるのか、とかクソ以下だ、とか思ったりしてましたけど、今になってなんとなく彼らの気持ちもわかってきましたよね。辛いからね、「だなぁ」でやってくの。周りの人にもうまく説明できないし、誰も付いてこなし、というか理由そもそもないし。理由もないからリスクもないし実はメリットもないし、みたいな。

 今なら良い感じの「でしょう!間違いなし!」を言えそうな自信も付いて来たような気もするんです。どうなんでしょうかね。みなさんはどうでしょう。脈絡がない!まーこういうもんです。ベルリン マジで関係ない。次に行きましょう。こーやっていろいろぼーっとするのもいいですが、1人ゆえですね。仲間とも行きたいところです。

 

ホテルで曲を作りました。では。

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