なにができるかを知っても意味なし夫

ふぁっきんしっとなユーザーマニュアルを作って学んだこと。

何ができるか、というのはあんまり知っても意味がない、のに結構人は知りたがる。どうやったらできるか、を知って、面倒だな、と思った時にはすでに遅い。

パソコンの時代になってそんなことばかり。もはや時のすぎることは矢の如しで僕らはチャットツールを使いこなせないおじさんのことを縄文人とバカにするが、僕らのまだ見ぬ後輩は我々のことを奈良時代の人だと思って、ヨボセヨ〜とかいってバカにするだろう。

DockerもGitも使いこなせるようになりたい、そんなのは当たり前だ。でも小学生のときはJavaAppletも使いこなせるようになりたかったのに、そんなものを今更できても仕方がない。だから、短い時間で深いところまで潜り込まないといけない。

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だからこの3ヶ月以内とか言ってる場合じゃない。あと一週間でとか言ってる場合じゃない。でも他の人はそんな風には生きてない。自分でやるしかないのか、そういうことじゃない、何ができるかではなく何がしたいのか、という簡単な話である。あったら便利だよね、というものはなくてもなんとかなる。つまりないと終わってしまう、ということに気付けるかどうかなのだ。

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じゃあそんなないと終わる状況ってどんな状況かというと、結構辛い。マジでぶち殺す、という気分の時だ。そうして何かを得て何かを失っていく。少なくとも時間は失われる。そしてまだ見ぬ後輩にサランヘヨ〜とか言ってバカにされるのだ。

だから、そういうのは忘れよう。どうでもいいのだ、他の人ができようが、バカにされようが、なんなら迷惑かけようが関係ない。殺し合いだ、この世の中は。バカにされるくらいなんてことはない、殺してやれ。いまだ!

 

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